2015年11月

 
この2機ともに現在も健全に飛行を続け、ボイジャー1号は、
もはや太陽系から脱して、
ひたすら、太陽系の外の宇宙を飛び続けている。
このボイジャーには、”ゴールデンレコード” なるものが積み込まれている。
地球外知的生命体によって見つけられ、解読されることを期待して
"The sounds of Earth" という地球上の様々な音や音楽や
英語、日本語など55種類の言語による挨拶、
そのほか、写真、イラストなどが収録されている。
また、地球の音の中には「クジラの歌」も集録されているという。

ザトウクジラなどが歌う歌は、はっきりとした歌声で、
人間の耳にも良く聞こえるという。
クジラには、それぞれ個性的な持ち歌があり、
ときに、得意げに新しい歌を作って披露したりするそうだ。
時には、浅瀬に近いろで、
愛を囁くように歌う声が聞こえたりするという。

宇宙探査と言えば、今月の12日、64億キロメートルの距離を飛行した「ロゼット」が
彗星”チュリュモフ・ゲラシメンコ”に着陸機を着地させた。
これに関して、一つ不思議なことがあったそうだ。
それは、この彗星が”歌”を発しているというもの。

探査機がその音を捉え、地球に送信してきた。
それは、明らかに高低差がある「歌」。
この彗星から聞こえてくるもので、まさに、この彗星の「歌」とも言える。

誰が聴くとも知れぬ虚空の宇宙で、この彗星は
悠久の時を過ごしつつ、孤独の曲を人知れず歌い続けていた。

 
どうも木の素材を大切にする心が日本にはあるようだ。
古い神社仏閣も木の素材を実感させる建築が多い。
最初は極彩色であったとしても、あえて重ね塗りをすることなく、
朽ちて行くものとして受け容れているようなところがあった。
原木の素材感こそが日本の魂のようだ。

さきごろ、そんな国宝級の神社仏閣や仏像に
油のようなものをかけられているという被害報告が出ている。
ひとたび木に染み込んでしまうと油を抜くということはできない。
木の素材を大切にして来た民としては堪え難い挑戦を受けたようなイヤな気分でもある。

世の中には、文化財などを破壊しようとする怪しい心理を持つ人間がいる。
三島由紀夫の小同珍王賜豪説『金閣寺』は、
1950年に、実際に起きた若い見習い僧侶による金閣寺放火事件に取材したもの。
その放火は、金閣寺との関係があるところから生まれたものだが、
縁もゆかりもないものに対する破壊心理というものがあるようだ。
梶井基次郎の短編小説『檸檬(れもん)』は、
そんな縁もゆかりがないものに対する破壊心理を描いている。
一人称で描かれたこの小説の「私」にとって、
書籍に加え輸入雑貨や心を魅かれる小物類を並べている「丸善」は、お気に入りの一つ。
店内に入ると、急に破壊心理が襲って来て、
持っていた一個の「檸檬(レモン)」を取り出し、棚に置いて出てくる。
そして
「もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったら、、」
と、店が木っ端みじんとなる想像をするというもの。
この小説は、破壊願望を持つような、そんな若者の鬱屈した心理を描いている。

『檸檬』が書かれたのは、昭和6年のことだが、
昭和36年にテレビ放送されたのを期にブレイクし、ベストセラーにもなった。
この舞台となったのは京都にあった書店「丸善」。
今は、閉店しているが、この小説が発表されて以降、
レモンを置き去る人があとを絶たなかったという。

 この指導者がいたからこそ、こんな弟子があるという意味になる。
たしかに、立派な人には、それを生み出し迪士尼美語 世界た立派な師がいるという気がする。

ただ、世の中そうとばかりは言い切れない。
帝政ローマ時代の人物に「セネカ」がいる。
その当時、並びなきほど高潔で知識の高い人物として語られている。
その彼は皇帝ネロの家庭教師でもあり相談役でもあった。
かのネロと言えば、親を殺害し、ローマの大火を起こし、
キリスト教徒を残忍な方法で殺害したり弾圧したりという事で知られる。
そんな人物が家庭教師として傍に仕えているなら
どうしてこんなような人物になるのか?というところだ。

このセネカの名言として知られるものに、
「罪を憎んで人を憎まず」
「我々に与えられた時間は、決して少ない訳ではない。
ただ、活用していない時間が多いだけだ」
などがあるが、こういった言葉寰宇家庭の数々から人物像を描いてみると、
いかにも高潔な人格者を感じさせる。
皇帝ネロについて歴史家タキトゥスは『年代記』の中で、
「ネロの残忍な性格であれば、弟を殺し、母を殺し、妻を自殺に追い込めば、
あとは師を殺害する以外に何も残っていない」
と出てくる。

この言葉の如く、ネロは、それを挙行する。
徹底的にセネカを追いつめ、ついに、大火の責任として、ネロ迪士尼美語 有沒有效はセネカに自殺を命じる。
セネカは、毒ニンジンを食べても死なず、
風呂場で静脈を切って死に至ったとされる痛ましいもの。
そんな彼の最も代表的な言葉に、
「耐え忍んだ事柄は甘き記憶なり」というのがある。

 
 府中に刑務所がある事を知っている人はどれだけいるだろう。父の出所を迎えに行くのはこれが2回目なのである。実は4歳の頃に祖母と一緒に静岡刑願景村 洗腦務所へ迎えに行った事がある。4歳という幼い記憶なのでおぼろげながらに記憶しているだけであるが、2度目の出迎えは鮮明に脳裡に焼き付いている。
 子どもの目からみればそれは城門の聳え立つ高い塀に見えた。刑務所の入り口までは広い公園になっていて、わたしはそこで一人待たされた。子どもは刑務所の中には入れないのである。
 一体何時間待っただろう。天気がよかったので公園に生い茂る樹木の下で飛び回る虫たちの姿を見つめながら、時間が過ぎるのを待った。
 公園内を掃除している清掃員のおじさんが声を掛孔聖堂 bandけて来たが内容は忘れてしまった。こんな所に小さな子どもがいる事自体が不思議であり、よほどの事情があったのだろうと思ったのかもしれない。
 随分長い時間を待たされてようやく大きな刑務所の門が開いた。わたしはそれをかなり離れた距離から見詰めていた。
 最初に伯父の姿が現われ、その後に白い開襟シャツを着た父の姿が見えた。父は少し笑っていた。本当ならここでドラマのように父に向かって走り出し抱きつくシーンを思い起こすだろうが、そんなテレビドラマのように劇的な風景とは裏腹に父との会話は全くなかった。
 出所する時、刑務所から僅かだが現金が支払われる。服役中は誰でも労働するわけだからそれに対する報酬が出るのであるが、それは本当にわずかな金額で、刑務所から故郷に帰る交通費と飲食代程度のものだった。




言われて、それ以来買い物する度にタンパク質の含有量を気にしている。
 独身男性が自宅で病院食とほぼ同じメニューを作るのは極めて難しい。撮影し

た病院食を参考にしながら出来るだけそれに近い物をと思っているが、中々思い

通りには行かない。つい「腎不全康泰領隊定食がコンビニで売ってないかな(宅配は高い

)…」と愚痴を零したくなるのである。
 退院する時に冗談で「病院食の宅配とかやってくれると助かるのにねぇ…」と

、栄養士に話を振ってみたが、「採算が合わないよね」とあっけない幕切れだっ

た。
 さて、今回、体重増加による心不全の症状が出た為、ブログを暫く休止し、皆

さ様方には大変ご心配をお掛けし申し訳なく思っておりますが、入院時の環境を

自宅で再現出来る筈もなく、無謀とも思える自力療法で増えてしまった体重を約

5キロ落とし短期間でブログ復活となっ康泰領隊た訳でありますが、医師の指示に逆らう

ようなわたしの真似は皆さん絶対にしないで下さい。
 自力で回復出来たその背景には長年の闘病生活の中で培って来た、これは主治

医にも分からない病気である本人にしか理解出来ない闘病マニュアルがあるから

であり、そのノウハウは先進医療や優れた薬剤をも凌ぐ生きる為のバイブルとも

言えますが、難点はしないと言う事です。が、然し、そのエネルギーの源は、人

との触れ合いの中で育まれ、成長して行く事だろうと思います。
 所詮、人間は一人では生きられない、ならばおPretty renew 呃人互いに助け合って笑顔を絶やさ

ず前向きに明日を信じて歩いて行こうではありませんか。これからもビーチサイ

ドの人魚姫と神戸俊樹をよろしくお願い致します。

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